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玉磨かざれば光なし

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ふと小学校のときに先生に言われた言葉を思い出しました。

直接言われたのではなく、通知表か何かに書かれていたのです。

 

中学受験のために塾に通っている人ならわかると思いますが、塾でふつうに勉強しているだけでも学校に行けば神童扱いです。

自分でもあの頃はちょっと調子に乗っていたかもしれないと思います。

周りに対して偉そうにするとかいうのは多分なかったと思います。

(自分ではそう思っている)

ただ、学校で周りの友達の幼さや無邪気さにはあまりなじめなかった気がします。

自分の居場所がなかっただけかもしれませんが、そんな世界から抜け出すための唯一の方法が中学受験だと思っていたのです。

 

珠美が飾れば光なし

 

MICROSOFTの日本語IMEがときどきよくわからない変換をしてくれます。

未だに2007年のソフトを使っているせいでしょうか。

 

「玉磨かざれば光なし」

 

そう書かれて、勝手に自分は宝石の原石なんだと思い込んでいた気がします。

 

高校くらいのときにも学校の先生からそんなことを言われた気がします。

 

そして、いつか自分は輝く宝石になるのだと。

 

 

 

あれから長い年月が流れて、気がつけば自分が子どもに教える立場になっていました。

 

いつか自分も教え子の中から宝石の原石を見つけて、同じようなセリフを言ってみたいなんて思ったのです。

 

その機会は思ったより早くやってきました。

 

教育相談です。

 

「この子はきっと磨けば光ります」

その子は目を輝かせていました。

 

でも私はそのとき、その言葉の本当の意味を理解したのです。

 

 

 

玉磨かざれば光なし

宝石が原石のまま磨かれなければ美しい光を放たないのと同じように、

人もどんなに才能があっても、学問や修業を怠れば立派な人間にはなれないということ。

 

 

これ、褒め言葉ではありません。

「どんなに才能があっても」というのは「才能がある」と認めているというわけではないのです。

才能があっても努力しなければならないのですから、才能がなかったらさらなる努力が必要です。

宝石というのは磨かなければそれほど価値はありません。

種類によってはただの石ころです。

ダイヤモンドの原石だって、粒が小さければ研磨剤の材料にしかなりません。

逆に言えば、その辺の石ころでも綺麗に磨けば何らかの価値が出てきます。

つまりは磨くという過程が付加価値を与えるわけですね。

 

 

つまり、「おまえは努力が足りない」、「今はまだ価値がない」

と遠回しに言われていたわけですね。

 

それが今は痛いほどわかります。

 

でも、今どきの子どもたちに同じことを言っても、「珠美って誰?」とか言われそうなので塾では違う言い方をします。

「頑張ったら必ず結果は出る」

「努力は裏切らない」

 

そんなセリフを聞いて、自分は合格できると思いこんでいる人も多いと思います。

でも、本当に伝えたいことはそういうことではありません。

 

「もっと努力しろ!」

と言っているのです。

あとになってから気づいても遅いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 


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