大学で物理学を勉強していると量子力学というのが出てきます。
量子力学というのはミクロの世界を扱う理論なのですが、私たちが住むマクロの世界では考えられない不思議な世界なのです。
例えば、一足の靴(左右セット)と2つの箱を用意します。
左右の靴をそれぞれ1つずつ、どちらを入れたかわからないように2つの箱に入れます。
その一方を1000㎞くらい離れた場所に持っていったとします。
箱を開けるまでは左右どちらの靴が入っているかわかりませんが、箱を開けた瞬間にわかります。
もし、右の靴が入っていたとしたら、1000㎞離れた場所にある箱の中の靴が左の靴であることが瞬間的に決まります。
当然そうでしょ。
そうなんですが、実は箱を開けるまで右か左か決まっていないというのが量子力学の世界なのです。
箱を開けるまでどちらかわからないのは、その人が知らないからであって、箱の中には最初からどちらかの靴が入っているはずだというのが私たちの常識です。
右か左かどちらかなので確率は50%ですが、それが箱を開ける瞬間に決まると言われてもなかなか納得できません。
つまりは箱を開けるタイミングによって、結果が異なるということなのです。
ですから、箱を開けるまでは中の靴は左足であると同時に右足であるという二つの状態が重なっていると言うのです。
コインが右手か左手のどちらかに入っています。さあどちらでしょう?
と、言われたら絶対にどちらかに入っているはずだと考えます。
両方の手の中に50%ずつ存在するとかわけのわからないことを言われても、インチキだとしか思えません。
シュレーディンガーの猫
これは割と有名な話です。
猫と言っても長靴をはいているわけでも、魔法を使うわけでも、喋るわけでもありません。
シュレーディンガーさんが飼っていた猫の話でもありません。
① ふたのある箱の中に猫を一匹入れます。
② 箱の中には猫の他に、放射性物質であるラジウム、放射線を検出する装置、青酸ガスの発生装置を入れます。
このラジウムは1時間以内に50%の確率で放射線(アルファ粒子)を放出します。
すると装置(ガイガーカウンター)がそれを検出し、青酸ガスを発生する装置が作動する仕組みになっています。
青酸ガスが発生すると猫は死んでしまいます。
箱を開けるまでは中の猫の状態は一切わからないとします。
③ 1時間後に箱を開けるとすると、50%の確率で猫は生きており、50%の確率で猫は死んでいることになります。
しかし、箱を開ける瞬間まではそれはわからないので、猫は生きている状態と死んでいる状態が50%ずつであるということになります。
これは実際におこなわれた実験ではなく、いわゆる思考実験というもので、こういうことをしたらこうなるんじゃないの?という理屈の話です。
猫が生きていると同時に死んでいる状態
「そんなのおかしいやん!」
と思うかもしれません。
実はシュレーディンガーが言おうとしたのはそこなのです。
猫に例えると理解できない状況になってしまうということなのです。
シュレーディンガーの受験生
① 受験生を部屋に入れて勉強をさせます。
② 同じ部屋の中にスマホを1台入れます。
スマホは電源が入っており、1時間のうちに50%の確率でLINEのメッセージが入ります。
メッセージが入ると受験生は勉強をやめてLINEに夢中になってしまいます。
③ 1時間後に部屋を覗くと、50%の確率で勉強しており、50%の確率で遊んでいるということになります。
1時間後に部屋のドアを開けてみると、受験生は机に向かって座ってはいるものの、目の前に置かれたスマホは画面が点灯しています。
「ちゃうねん。今ちょうどメッセージが入ってきたとこやねん。」
※質問に対する返答が「ちゃうねん」で始まるときは必ずそのあとに言い訳が来るのが関西弁のルールです。
その時点で嘘は完全にバレるのですが、そこから自虐的なネタに持っていって笑いを取ることさえできれば”おもろかったら許す”というルールが適用されるので、それを狙うのです。(⇒ チャウネン効果)
「遊んでたんやろ?」と聞くと、
このとき受験生は勉強をすると同時にLINEをしている状態だったと主張します。
「何を訳わからんこと言うてんねん!そんなことありえへんやろ!」
というのがシュレーディンガーが言いたかったことなのかもしれません。
ところが、いつ部屋を覗いても勉強する姿しか見ないという人もいます。
その割にはちっとも成績が上がらないというのです。
ひょっとしたら観測者の存在によってその結果が変わってしまっている可能性が考えられます。
今度は音を一切立てずに近づいて、いきなりドアを開けてみてください。
今まで見たことがない姿を見ることができるかもしれません。
その瞬間に今までの嘘がすべてバレることがあるかもしれません。
不確定性原理
未来のことはあらかじめ決まっていて、自分はそれを知らないだけという考え方があります。
例えば、今日受けたテストの結果はすでに塾で集計されていますから、早ければもう点数が出ているかもしれません。
家に帰って今日は出来たとか、多分何点くらいだったとか、難しかったとか、易しかったとか、いくら言ったところですでに点数は決まっています。
点数が出るということは、偏差値や順位も決まっているのです。
それを知らずに喜んだり、悩んだりしている状態だということです。
しかし、まだ受けていないテストについては何も決まっていません。
本番の入試を受験するまでは、受かっていると同時に落ちている状態なのです。
ただ、その確率は人によって異なります。
ぎりぎりA判定くらいだと、50%合格であると同時に50%不合格である状態が重なり合っていると考えます。
結果は合格発表を見た瞬間に決まるのではなくテストを受けている間にほぼ決まります。
終了後におこなわれる採点は模範解答や採点基準にしたがって事務的に作業がおこなわれるので、そこに人間の意志が介入することは原則としてあってはなりません。
受けなければどちらにも決まらないので、受けていたら受かっていたかもとか、こっちにしておけばよかったとか、好きなことを言うことができるのです。
受験の難しさは実際に受けてみないと決まらないというところにあるのかもしれません。