「こんな成績をとってくやしくないの?」
「クラスが上がれなくてくやしくないの?」
子どもにこのような質問を投げかける保護者があとを絶ちません。
これはある種”悪魔の質問”ですね。
どう答えても結論は決まっていて、必ず悪魔が勝つように出来ているのです。
NOと答えた場合
「本当にくやしくないの?」
「何にも感じないの?」
「志望校に行きたくないの?」
「もう受験やめるの?」
YESと答えるまで質問は延々と続きます。
ですから、”質問の意図”を正しく理解している子は”YES”と答えるのです。
YESと答えた場合
悪魔は鬼の首でも取ったかのようにニヤリと笑い、
「くやしかったら勉強しなさい!」
「くやしかったら頑張りなさい!」
と続けます。
言質を取られた鬼は反論することができません。
ところが、「くやしい」と言っているわりには全然頑張る様子が見られないのです。
どうしてなのでしょうか?
本当はくやしくないのでしょうか?
子どもの様子を見れば一目瞭然ですね。
勉強しないのは”くやしくない”からです。
本当にくやしかったらそれなりに頑張るはずなのです。
くやしさをバネにする
これ、実は昭和時代のメンタリティーなのです。
昭和時代に小・中学校教育を受けた世代に共通して見られる考え方なのではないかと思います。
そこで、昭和時代の教育とはどのようなものだったのかを振り返ってみましょう。
昭和時代の小学校
今の時代(平成)にはあり得ないことが日常でした。
学校で何か規則を破ったり、喧嘩をしたりすると必ず体罰がありました。
・立たせる
授業中に騒いだり、寝てたりすると教室の後ろや廊下に立たされたのです。(授業が終わるまで)
昭和50年代には廃れていましたが、もっと昔は水を張ったバケツを両手に持って立たされたりしたのです。
その後、授業中に立たせるのは「教育を受ける権利を奪う」などという理由で、このような体罰はなくなっていきました。
・殴る、叩く
廊下を走ったり、騒いだり、喧嘩をすると必ず殴られました。
喧嘩両成敗と言われて、喧嘩を売られた方も殴られました。
殴り方にはいくつか種類があって、
・拳骨(ゲンコツ)…握り拳で主に頭頂部に打撃を加える体罰
頭蓋骨の方が丈夫なので、鍛えていないと拳の方が痛いのですが、そのおかげで致命傷に至ることはめったにありません。
叩く強さは罪の大きさに比例しますが、一般に男子の方が強めに叩かれます。
叩く方も痛みを味わうので人道的だというおかしな理論もありましたが、実際にはかなり手加減をされているので、教師のやさしさを感じるという意見もあります。
・ビンタ…平手で顔面や後頭部、側頭部を殴打する体罰
女性教員がよく使う体罰というイメージがあります。
当たり所が悪いと鼻血がでたり、鼓膜が破れたりすることがあるので、下手に避けると危険です。
眼鏡使用者は怪我を防ぐためにメガネを外すように言われます。
1日くらいは顔が腫れます。
ひどい場合は内出血します。
叩く方も手が痛いので、人数が多いと最後の方は力加減が雑になります。
手が痛いからと、黒板用の定規(大型)で殴る教師もいました。
男性教員は女子に対して手加減をしますが、女性教員は手加減をしません。
・耳を引っ張る…耳介をつまんで引きずり回す体罰
これ自体が体罰なのではなく、生徒を連行するときに使われた方法です。
・つねる…指で皮膚をつまみ、ひねる体罰
女性教員がよく使う体罰ではないかと思います。
服の上からつねられるよりも、直につねられる方が痛く、内出血をすることがよくあります。
同じところを何度もつねられるとより痛みが強くなります。
・竹刀で叩く
中学生になると竹刀で叩くという体罰が多くなりました。
素手だと生徒の方が強い可能性があるからだと思います。
・蹴る
これも中学生向けの体罰ですね。
・丸坊主(丸刈り)
男子は頭髪を短く切る体罰があったかと思います。
しかし、男子は全員丸坊主という公立中学も多かったと思います。
高校野球では今でも丸刈りという学校が多いですね。
何か悪いことをしたり、失敗したときに丸刈りにするという習慣は世間でもまだ残っているようです。
昭和時代の保護者
このような体罰が日常的に行われていたにも関わらず、どうして何の問題もなかったのでしょうか?
今なら即警察沙汰、裁判沙汰になるレベルの話です。
体罰を受けた子どもたちは、決してそのことを親には言いませんでした。
なぜなら、”体罰を受ける=学校で悪いことをした”ということなので、それを理由に親からも怒られ、また体罰をうけるからなのです。
ときどき学校に顔を腫らせて登校してくる子がいましたが、親からかなり怒られたのでしょう。
それでも虐待などという言葉すら出てきませんでした。
当時の保護者と学校はかなり連携していて、「うちの子が悪さをしたら遠慮なく殴ってください」などと平気で言っていたものです。
友達の親からも殴られました。
友達の家で騒いだり、何かを壊したりした日には全員ビンタでした。
これだけ体罰を受けて、虐待されていたにも関わらず、それがトラウマになるとか不登校になるとかいう話はほとんどなかったかと思います。
イジメはありました。
今よりは暴力的なものでしたので、それが原因で不登校とか自殺というのは多かった気がします。
また、これだけ暴力をふるう教師を信頼する生徒も多かったのは、ストックホルム症候群のようなものだったのかもしれません。
ほぼ全員が体罰を受けているので、子ども同士の連帯感も強かったと思います。
連帯責任とか言われて無理やりそういう思想を植え付けられていた可能性も否定できません。
その一方で、すぐ先生に告げ口する密告者はみんなから嫌われていました。
こういう体罰を受けて育った世代からすれば、最近のパワハラなんていったい何が問題なんだと感じることも多いかと思います。
感じ方が異なるのはジェネレーションギャップですから、理解し合うことは難しいでしょう。
「最近の若者は~」なんていうセリフは古代エジプトの象形文字でも書かれています。
とりあえずみんな規則だけは守っておきましょう。
当時の学校の先生は授業中にもタバコを吸っていました。
保護者会では保護者と一緒に酒を飲んでいました。
翌日の教室は酒臭いなんていうこともありました。
家庭訪問で食事や飲酒をすると、2軒目、3軒目がきついとか言ってましたね。
むしろ断る方が失礼という時代だったのです。
くやしいという気持ち
体罰を受けると、動物的な本能なのか、脳内物質であるアドレナリンが分泌されます。
怒りが込み上げ、痛みが麻痺してくるのです。
闘争本能が湧き上がってくるのですが、体力的にも教師には勝てません。
つまり、”くやしい”という状態になります。
体罰を終えた教師は急に優しい口調になり、体罰を受けた生徒を優しく諭します。
そんなときに、
「くやしかったら頑張れ!」
というセリフが出てくるのです。
つまり、怒りの矛先を教師に向けるのではなく、努力の方向に向けてしまうわけですね。
スポーツの世界では広くこの方法が用いられていたと思います。
勝負の前にビンタをするのです。
自分で顔を叩く人もいます。
そして、込み上げてきた闘争本能を競技に向けるという仕組みです。
負けたときは落ち込むのではなく、それを怒りに変えて、次の勝負に向けた努力をする方向に持っていくわけです。
時代背景
そんな無茶な方法がなぜまかり通っていたのか、そしてうまくいっていたのかというと当時の時代背景が大きいかと思います。
昭和時代後期は戦後復興から特需景気を経て、経済が右肩上がりに成長していました。(バブル崩壊までは)
そんな時代でしたから、頑張ったら必ず結果がついてきたのです。
学歴が高くなるほど就職に有利になり、給与も多くなったのです。
バブルの頃なんか、就職は有効求人倍率2.86倍の売り手市場、地方の会社を訪問するだけでお金が貰えた時代です。
仕事なんか全くしていなくても、株価や為替レートで利益を出している会社もありました。
国民の9割が中流意識を持つと言われていた時代です。
頑張ったら(そんなに頑張らなくても)どうにかなる時代だったのです。
バブルは経験していなくても、そんな時代を小・中学校で過ごした人にはそういうメンタリティーが深くしみこんでいるのです。
”くやしかったら頑張れ!”というのは、
”頑張ったら結果がでる”ことが保証されていなければ成り立ちません。
そして、アドレナリンが不可欠なのです。
頑張っても頑張らなくても、どうせ同じ結果になるのであれば、
頑張らない方が得(コスパがいい)というのは平成時代のメンタリティーかもしれません。
※個人の感想です。