ミスをなくす方法はありませんか?
そんな質問や相談をしてくる人がたくさんいます。
それも、なるべく簡単に、あまり努力を必要とせず、すぐに出来る方法を知りたいというのです。
私も長年この業界で仕事をしていますが、そんな方法を知っていたらとっくに独立して自分で塾をやっていますよ。
というわけで、とっておきの方法を教えましょう。
ミスを完全になくす方法です。
とにかく、ミスがなくなればとりあえずそれでいいわけです。
まずはいつものように長い前置きから始めます。
なぜミスを減らしたいと思うのか?
公開テストや復習テストが返却される度に、答案を隅々までチェックする保護者がけっこういます。
特に最難関を目指している人、学年が低いほど、そしてクラスが上位になるほどその傾向が強くなります。
逆に考えれば、子どものミスに過敏になるほど成績上位になれる可能性が高いのかもしれません。
ところが、ある程度成績が上がってくると(満点に近づくほど)、何となく壁が見えてくるものです。
どう頑張っても解けそうにない問題というのが最後に残ります。
となれば、戦略としては取れる問題をきっちり取ることが最大の課題となるのです。
が、返却された答案を見ると、正答率が比較的高いにも関わらず、落としている問題があるわけです。
それをどうにかしないことにはこれ以上成績を上げるのが困難だという状況になるわけですね。
そこでミスを減らすにはどうすればいいのか?
と考えることになるのだと思います。
で、答えがでないわけですね。
ミスとは何なのか?
分類してみましょう。
問題文の内容や注意書き、指示などを読み飛ばした
問題文の意味や指示を勘違い(読み違い)した
途中の計算を間違えた
計算式や数値を書き間違えた
解答欄を間違えた
誤字・脱字
消し忘れ、消しそこねなど
記憶違い、ど忘れ
などが考えられます。
これらを「不注意」の一言で片づける人もいますね。
この不注意はなかなか無くすことができません。
そもそも本人が意識していない可能性があるのです。
簡単に言うと「自覚が足りない」ということになります。
さすがに全く解けなかった問題を「ミス」と呼ぶ人はいませんね。
そういう問題はよく「捨て問」と呼ばれます。
特に正答率の低い問題は捨て問と言われます。
ミスが発覚するまでの流れ
テストが返却されて、家で解き直しをしたりするとミスが発覚します。
あるいは、テストの解答をもらった時点で気づくものもあると思います。
「あ~、しまった!」と思う間違いはミスに分類されます。
正答率の低い問題は本人の「ミス」ではなく、「引っ掛け問題」などと言われることが多いです。
家で解き直しをすると、
「解き直したら正解できた。」
「解説を見たらわかった。」
「問題をよく読んだらわかった。」
「図をかいたら解けた。」
「ゆっくりやったら出来た。」
なんていうことがよくあります。
なんだかちょっと悔しいですよね。
「本当なら合ってたはず」なのに。
そうすれば「〇〇点とれたはず」で、「偏差値〇〇だったはず」なのです。
すべてはミスが原因なのです。
対策
子どもに任せておいたらミスはなくならないと判断した親がとる行動はだいたい同じです。
「問題をちゃんと読みなさい」
「見直しをしなさい」
「式や計算を書きなさい」
「図を描きなさい」
「もっと丁寧に解きなさい」
「綺麗に書きなさい」
「注意しなさい」
しつこいくらいに言い聞かせ、宿題をチェックして、テスト前にも確認をしているのに、
それでもミスはなかなか減りません。
どうしたものでしょうか?
こうすればミスは完全になくなる
ミスを完全になくす方法を考えました。
ミスを根本的になくすことができます。
というより、ミスという概念すらなくしてしまうのです。
ミスの正体
返却された答案には〇や×がつけられています。
もう少し詳しく見ていくと、
〇:正解
△:減点
×:不正解
となります。
不正解でも場合によっては、
誤答:解答したが不正解
未解答:解答欄が空欄
に分類される場合があります。
誤答でも、最後に適当に埋めただけの解答と、考えて書いたけど不正解というのがあります。
もちろん正解の中にも、適当に書いて当たったものも含まれます。
何が言いたいのかというと、
返却されたテストには一言も「ミス」という文字はないのです。
では、ミスはどこで発生するのでしょうか?
減点された問題、不正解のうち正解に近いと思われるものを
各自が独自の判断で勝手に「ミス」と呼んでいるだけなのです。
本来の「ミス」とはmistake(間違い)ですから、間違いであることは間違いないのですが、
そこに「惜しかった」とか「本当なら」という余計な修飾詞がついているのが間違いなのです。
つまりは、「ミス」という分類の仕方が間違ってるのではないでしょうか。
不正解は不正解なのです。
それぞれに原因があるはずです。
それをあたかも自分に責任がないかのような言い訳をすると、「ミス」になるわけです。
そういうこと(実力不足をミスと呼んで誤魔化すこと)をやめてしまえば、ミスなんて概念すらなくなるはずです。
正解できないのは実力が足りないのです。
もし自分(子ども)の実力を客観的に見ることができればわかるはずです。
「また絶対に間違えるだろう」と予測できるのであれば、それは実力が足りていないということなのです。
ミス(という概念)がなくなったところで、不正解が減るわけでも正解が増えるわけでもありませんが、
原因を正しく追及し、解明し、対策することで長期的に見て実力を上げていくことは可能です。
「本当なら合っていた」
これは返却された答案(塾の採点)を否定する行為です。
それ以上に、目の前の現実をあまりに無視する問題発言です。
本当=自分の考える理想の状態
であって、目の前にある答案は何かの間違いだと言っているのです。
それが本当のミスなのです。
「次は大丈夫」
これも典型的な現実逃避です。
自分に責任はないと言っているようなものです。
同じテストをもう一度受けるのであれば大丈夫かも知れません。
ですが、初見の問題では同じ過ちを繰り返す可能性が極めて高いというのが合理的な判断です。
「解説を見たらわかった」
解説を見なければわからないということです。
テスト中に解答・解説を見ることはできませんし、質問もできません。
つまり、遠回しに「自力ではできない」と言っているのです。
「やり直したらできた」
間違いを指摘された上で、やり直さないとできないということですね。
「ちゃんと読んだらわかった」
テスト中にはちゃんと読むことができないということです。
「図や式をかいたらできた」
テスト中にはかけなかったということです。
「注意しなさい」
「見直しをしなさい」
「丁寧に書きなさい」
それができるくらいなら間違えたりしないでしょう。
よく間違える人は間違えやすい行動を取っているものです。
間違いを減らしたいのであれば、間違いをしにくい行動に変えていかなければなりません。
勉強量が多いわりにテストの点数が取れず、もったいない間違いが多いと思うのであれば、
間違いを減らしていくための練習に力を入れた方がいい場合もあります。
それが出来れば苦労はしない?
それが出来る人はものすごく苦労してきたんだと思います。