グラフで見るシリーズ第3弾は甲陽学院です。
今までの記事はこちら。
甲陽学院高等学校
1917年 故伊賀駒吉郎氏によって私立甲陽中学が甲子園に設立。
1920年 「白鹿」の酒造家である故辰馬吉左衛門氏によって「財団法人辰馬学院甲陽中学校」が創設。
※ちなみに灘中学校は酒造「菊正宗」「白鶴」「櫻政宗」によって設立。
1923年 全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高校野球選手権)で初出場、初優勝。
1947年 学制改革により甲陽学院中学部を香露園に新設。
1948年 旧甲陽中学校は甲陽高等学校となる。
1950年 甲陽学院中学部を甲陽学院中学校、甲陽高等学校を甲陽学院高等学校に改称。
1978年 高等学校のみ移転。
1993年 中学校の新校舎竣工。
2006年 中学校の募集定員を増加。
2009年 高校募集を停止。完全型中高一貫校となる。
東大・京大の合格者数
1969年は東大入試が中止となりました。
1987~1988年は国立大学がA日程・B日程に分かれていたため東大・京大が受験可能でした。
高校の卒業生数は200~210名です。
灘高校と同じ兵庫県にあって入試日程も同じであるにも関わらずここまで合格者が出ているのはすごいと思います。
灘の併願校でもある東大寺学園といい勝負をしています。
現役合格率は70%前後です。
国公立大学医学部合格者数
※2000年以前はデータが不十分です。
東大理Ⅲ・京大医医合格者数
甲陽学院から東大・京大を狙うには、高3時点で
・学年上位2分の1以内にいれば現役合格の可能性が約70%です。
国公立医学部を狙うには、
・学年上位4分の1以内で、現役合格の可能性が50%前後です。
東大理Ⅲ・京大医医を狙うには、
・学年上位5位以内をキープで、あまり現役合格にこだわらないことです。
中学受験では灘受験を諦めて甲陽学院に志望校変更する人が毎年一定数います。
9月時点での志望校別特訓で甲陽コースの上位にいても、10月~11月に灘コースから大勢移籍してきて、上位が一気に入れ替わることがあります。
ちなみに甲陽学院の上位の生徒は大学実績を見ても分かる通り、灘、東大寺の学年上位と全く遜色はありません。
ですから、灘中学校A判定が取れないという理由で甲陽に志望校変更した人が、甲陽で学年上位を狙うなんていうのはかなり難易度が高すぎると言っても過言ではないでしょう。
A判定偏差値を気にする人が多いですが、A判定はあくまでも合格ギリギリのラインであって、学年順位で考えたらかなり底辺の部類に入ると考えておいた方がいいかもしれません。
甲陽学院中学校の入試でトップを狙おうと思ったら、大手塾で学年一桁台の学力が必要です。
ただし、大学受験は中学入試から6年後の世界ですから、入学後の個々の努力の差が大きいと考えていいと思います。
ちなみに鉄緑会大阪校の甲陽学院生の在籍者数は2023年4月現在で158名、東大寺より2名多いです。
中学時点では西宮北口教室に通う人も多いと聞きます。詳細は不明です。
甲陽学院志望で将来的に東大・京大・国公立医学部を狙う人は、塾で灘コース、甲陽コースに分かれるまでは基本的に灘志望の人と同じ勉強をしておくことをお勧めします。
実際に甲陽コースの最終的な上位層は9月くらいまで灘コースで灘を目指していたという人が多いからです。
「灘志望じゃないからコレはやらなくていい」的な考え方だと勝てないかもしれません。
これは甲陽学院に限らず、灘以外の最難関校すべてに当てはまることだと思いますが…。
もちろん、灘でも学年上位に入らないと厳しいです。
入試直前の11月くらいになったら第一志望校に入ることだけを考えればいいと思います。
甲陽学院中学校の入試問題は科目によっては難易度が灘より高いことがあります。
そのかわり合格者平均点は低くなります。
それだけ入試対策も難しいと考えておいた方がいいでしょう。
データの誤りがあればコメント等で教えてください。
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