よく聞くセリフだと思います。
子供の勉強に対して何か指示を出すときにはなるべく具体的に指示を出した方がよいという話で、塾の説明会や教育相談なんかでも言われることがあるかと思います。
しかし、
これは一見すると理にかなった論理なのですが、その一方でそのアドバイス自体が曖昧で抽象的であるという矛盾を孕んでいるのです。
その言葉の真意を正しく理解せずに子供に伝えると、当然ながら正しい意味は伝わらず、単に混乱をもたらすだけの伝言ゲームになってしまいます。
「ちゃんと勉強しなさい!」
「うん、わかった」
「宿題はもうやったの?」
「うん、もうおわった」
「今日のテストはどうだった?」
「ふつう」
こんな会話をしている親子を見かけるとちょっと不安になります。
だいたい偏差値40台くらいだと思います。
上位帯の子はそういう会話はしません。
「テキストの解き直しはどこまで終わったの?」
「講義1は全部終わって、今講義2の7番」
「あと15分で終わるの?」
「大丈夫。残り4問だから10分で終わる」
「今日のテストの結果はどうだった?」
「合格点が60点で、僕は80点でベスト3。トップは90点。」
こんな感じでしょうか。
何が違うかわかりますか?
そんな彼らもあと十数年したら社会人になるわけです。
特に何もしなければそのまま大人になっていきます。
彼らは会社でどんな報告をするのでしょうか。
そして20年も経てば親になります。
やがて子供とどのような会話をするのでしょうか。
もしそんな負の連鎖?を断ち切りたいと思うのであれば今がそのチャンスかもしれません。
原因は伝え方にあるのかもしれません。
「勉強しなさい」と言うだけで勉強する子に育てるには、まず「勉強する」ということが具体的にどういうことなのかを事前に教えておく必要があります。
お互いが十分に理解しあえていて、コミュニケーションが確立しているのあれば、それほど言葉は必要ありません。最低限の情報だけでいいのです。
「できた?」
「あと4問」
「どうだった?」
「80でベスト3、合格は60」
これで業務連絡は終了です。
「宿題をしなさい」も同じですね。
まずは「宿題をする」というのはどういうことなのか、明確に定義しておく必要があります。
例えば、
テキストの宿題範囲をすべてノートにやって、丸付けをし、間違えた問題はすべて解き直し、全問正解出来たら終了とする。
ただし、計算問題は解答だけでなく、途中の式も必ず残すこと。
とか、
5分考えてわからなかった問題は解説を見ながら解き、理解しておくこと。
また、その旨記録を残しておき、後日再度自力で解き直しをすること。
などと決めておけば、「宿題をしなさい」だけでいいのです。
「ちゃんと丁寧に書きなさい」といくら言ったところで、まず「ちゃんと」というのがどういう意味か理解できていなければどうしていいかわかりませんし、「丁寧」というのがどういう基準でどのレベルなのかを示し、さらに何のためにそのようなことをする必要があるのかを子供が納得するまで話しておく必要があります。
その作業を省いておきながら、「この子は自覚が足りない」というのは無茶です。
また、丁寧といってもあまりに時間がかかるのも問題ですし、硬筆書写検定5級レベルとか言われてもよくわかりません。
入試では漢字は楷書で書かなければなりません。
とめ・はね・はらいもわかるように書かなければなりません。
行書で書くと筆順や画数が変わってしまうのでダメなのです。
しかし、漢字以外の記述や、他教科ではそれほど厳密である必要はありません。
もちろん誤字はまずいですが。
それよりも最大の問題は読めるかどうか、つまり「判別可能かどうか」ですね。
書いた本人は読めると主張しますが、テストを採点する人が読めなければダメなのです。
つまり、「テストの採点官が十分判別にできる文字」を書けということになります。
しかし、宿題はテストではありませんから、その定義ではカバーできません。
宿題を解くことが即ちテストの練習を兼ねているということを理解した上で、テストの練習として宿題を解くのだと定義すれば、「宿題ノートに書く字の丁寧さはテストに準ずる」としてもいいのです。
何だかめんどくさい理屈を並べるやつだと思っているかもしれませんが、そこを最初にしっかり決めておかないからあとでややこしいことになるのです。
人によって考え方が分かれることがあるのですが、
「指示を出した以上、必ず完遂させるのが親の責任」という考え方の人と、「私は指示を出すことで責任を果たした。指示を守らないのは自己責任」という考え方の人がいます。
夫婦喧嘩の原因にもなりますので、事前に意見のすり合わせをしておいた方がいいと思います。
つまり家族で責任の内容と分担を決めておくということですね。